社会人になって3回目の引越準備。当然のことながら、過去2回に比べ家具の数、衣料品やPCを含め 3-4倍の引越荷物が存在する。その量を減らすため、粗大ごみや可燃ごみの整理として、山に行かずに もくもくと 週末は作業をこなす。
その引越荷物の中に、前2回とも廃棄を免れた、若い頃の手紙群(20年前)がある。関東と関西を結んだ手書きの文章。未だE-Mailは存在せず、市外通話は高値、個人の電話も無かった。コスト的には、時間はかかるが確実に双方を確認できたと思う。万が一、夫婦の関係が危うくなった場合にはこの手紙群を読み直そうと思っていたのだ。早20年が経過し、おそらく死別以外の要素は考えられないだろう。
相方は、もう読み返すことは無いということなので 夫婦間の書簡は全て廃棄処分としシュレッターにかけた。若い頃具備していたものはいつの間にか 無くしてしまったのかもしれない。その無くしたものをもう一度取り戻してみたいと思うが、逆に若い僕から学ぶことは無いんじゃないかとも思う。相方との相性は、このまま継続しえるだろうし・・・
ただ、逝ってしまった友人の手紙だけは捨てようが無い。
今でも彼からのメッセージは、受信体制をとっているが 送信される気配すらない。しからば、彼の直筆のメッセージだけが頼りなのだ。
僕は待ってるよ、君からのメッセージを!君は忘れようが無い友人なのだ。
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